中野大助被告第2回公判 傍聴レポート

中野大助被告第2回公判 を傍聴して

「夢の島殺人事件」て逮捕された中野大助被告(25)の第二回公判を傍聴しましたのでご報告します。
 今回は開廷10分前には40席程の傍聴席は全部埋まり関心の高さが感じられました。
 なお、用語等で不適切な表現ががありましたらお許し下さい。
日時:2000年7月3日 午後1:30〜4:40
場所:東京地裁 421号法廷

2000年7月6日  シンジ


法廷中の中野被告
中央が中野大輔
後ろが弁護士

【スケッチ提供】
 薔薇族編集部・南島健太郎氏

1、法廷のあらすじ

 手錠をかけられた中野被告が正面右側のドアから入廷。今日の中野容疑者は5月の第一回公判と比べると青白い顔でやや疲れているように見受けられた。
 予定より10分遅れて開廷し、検察側から同件で逮捕された少年達の供述調書の読み上げが行われた。
 その後で、弁護側が請求した被告の母親の尋問と中野大助被告の尋問が行われた。尋問はそれぞれ弁護側・検察側・裁判官の順番で行われ4時40分に閉廷となった。
 次回の公判は8月22日(火)午後2時30分〜 東京地裁421号法廷と決まる。


2、法廷中の被告人の様子

 法廷中の被告人は両手を膝の上で結びじっと下を向いた状態でした。母親が検察側から強烈な尋問を受け、母親が涙ながら訴える場面があっても被告人は表情を変える事がなかった。わずかに手を握りしめ親指が奮えているのがかすかに見えた。

 母親の涙ながら訴える場面では傍聴している私の方が涙が出る思いだった。(これは決して母親に同情する気持ちではないけど)
 被告人は自分の母親が自分の犯した罪で涙ながら我が子を庇っているのを見てどう思ったのだろうか? 涙一つ流さない被告人を見て腹立たしい。もし、私が同じ立場ならばそんな母親を見たならば泣いてしまうだろう。


3、被告人尋問の内容について

(1)被告人の母親尋問

母親の弁護側尋問の内容は主に被告人の中学時代から成人するまでのおいたちに絞られた。
(おそらく、『被告人が学校でいじめにあっていた』事を今後の減刑の材料にする弁護側の作戦だと思います)
被告人の経歴は、3人兄弟の長男で中学時代に『動作が鈍い』ことからいじめに遭い徐々に学校を休むようになる。中学卒業後高校受験に失敗し調理学校に入学するが3〜4ヶ月で学校を辞める。その後、大工・花屋・運送屋等の仕事を転々とし、19才のときにシンナーで中等少年院送致になったが4ヶ月目に少年院を脱院(脱走)し直ぐに捕まりその後別な少年院に1年間入る。

 母親の証言はあまりにも『我が子可愛さ』の発言が多く遺族の感情を逆撫でしているように受け取れました。 
 途中で検察官が激怒する場面もありました。

検察:『過去に暴力事件を起こした事はありますか?』
母親:『近所の人の話ではうちの子が殴られていると言う話しは聞いたことがあるけど殴ったと言う話しは聞いたことはありません。この子は気が小さく、とてもやさしい子で弟の面倒は良く見るし、とてもこんな事をする子ではありません。』

検察:『暴走族に入っていたのは本当ですか?』
母親:『暴走族に入ってませんでした。一度集会に行っただけです。』
検察:『暴力団に出入りしてたようですが・・・』
母親:『暴力団の方がやってる時計屋さんに遊びに行って遊んでただけです。』
     

     :
裁判官:『遺族の方にどのような償いを考えてますか?』
母親:『亡くなられSさんには申し訳ないと思ってます。毎日主人と泣いてました。私もこれから働いて少しづつお支払いをしていきたいと思ってます。』
裁判官:『支払いはいつからするのですか』
母親:『(しばらく沈黙)・・・・ 裁判が終わってからお支払いしたいと思います。』
    
(裁判が終わってからと言う事は罪を認めていないことではないだろうか?・・・シンジ)
裁判官:『今年になって息子さんが仕事をしてましたか?』
母親:『去年から佐川急便で働いてました。今年の1月も毎日夜出かけて朝帰ってくるので仕事していると思ってました。』(実際は去年12月で仕事を辞めていた)

(2)被告人尋問
 今回の一番の注目は中野大助被告の尋問であったが、肝心な質問になると被告人は『覚えてません』とか口を閉ざしてしまい検察側や裁判官側から同じ質問が繰り返される場面があった。裁判官から尋問の最中に裁判官の質問に対して被告人が『何がいいたいのですか?』を言い返す場面もあり法廷は延々3時間にも及んだ。

 特に印象的なのは自分はあくまでも見張り役であり実際の暴行現場は見ていないと言い張っているように思えた。

 被告人尋問の一部を紹介します。

検察:『1月の犯行にモンキーレンチや鉄パイプを使われた事を知ってますか?』
被告:『・・・・・はい』
検察:『それらの道具を実際の暴行に使ってるところを見ましたか?』
被告:『やばいと思ったけど、見たことはありません』
検察:『いずれ捕まるとは思わなかったですか?』
被告:『いつかは捕まるだろうと思ってました』
検察:『1月下旬に弟が警察に引っ張られてやめようと思わなかったか?』
被告:『思わなかった』
検察:『何で行ってたのですか?』
被告:『毎回少年Aから誘われるのでしかたなく行った。2月の時は行きたくなかった。・・・』
     

     :
裁判官:『死人が出た事で、「殴らない」事はあなたにとってどう言う意味がありますか?』
被告:『・・・・・(沈黙)』
裁判官:『同じ仲間が少年院に行って自分は罪を受けないことをどう思いますか?』
被告:『・・・・・(沈黙)』
  (裁判官の質問はストレートでいいですね!。沈黙でいる事は罪を認めていないのでは・・・シンジ)

尋問席の中野被告
手前が中野大輔
奥が女性裁判官

【スケッチ提供】
 南島健太郎氏

(2000/7/21追加)


4、公判で明らかになった犯行の経緯

  • 平成12年1月初めから2月10日までに5〜6回くらいやった。
  • 2月10日は少年Aから誘われたので仕方なく行った。行く途中で少年Aがセブンイレブンで軍手を万引きし、原付バイクで夢の島公園に向かった。
  • 大通りを大人数で行くと目立つので細い道を通り牛丼屋の駐車場にバイクを止め公園に向かった。
  • Sさんが歩いてたので『何してるんだ・・?』と声かけたら無視されたので少年BがSさんの後ろに回り込み背後から首に腕を廻して倒した。
  • Sさんの顔を10回以上も踏んづけたらうなってうるさかったので腹を蹴った。
  • そのときは死んでもいいと思って殴った。
  • Sさん両足を持って目立たない梅の木の下に引きずって運び、近くにあった丸太棒で殴ったら『ピチャピチャ』と音がし口から血が出たのでヤバイと思って帰ってきた。
  • 一緒に公園を出るとヤバイと思い分散して帰った。
  • 取ったお金は中野が一旦預かり、レストランで中野が2千円をとり残りの6千円を少年Aに渡した。


5、傍聴の感想

 母親の尋問では、あまりにも『我が子可愛さ』の発言が多く遺族の感情を逆撫でしているように受け取れ腹立たしい思いだった。
 今回の一番の注目は中野大助被告の尋問であったが、肝心な質問になると被告人は『覚えてません』とか口を閉ざしてしまい、どうも沈黙(黙秘権?)が多くスッキリしない尋問であった。
 検察側は犯人が実際には手を下してないとしても、意識を失ってるSさんを寒空の中に放置した件で求刑すると思われます。
 また、弁護側は『中学時代に遭ったいじめ』『今回の事件は誘われたもので直接手出しはしていない』というところから減刑を求めてくるものと思われ、次回の論告に注目したいものである。
 また、尋問では犯行の目的に触れる事はあまりなかった。なぜゲイを狙ったのかには一切触れることはありませんでした。
 今回の裁判はどうもスッキリしないものだった。

 裁判が終わって窓から外を見るとすごい雷雨でしたが、俺が玄関を出るときには小雨になっていました。
 
(自分はこの雷雨がSさんの怒りのように感じられました。こう思うのは俺だけかな〜? 実は俺が怒ってるだけど・・・)
   
公判中腹立たしい場面が多くて肝心なところのメモを取るのを忘れたのでお許しを・・・(汗)


6、次回の公判日程について

●日時: 2000年8月22日(火)午後2時30分〜 
●場所: 東京地方裁判所 第421号法廷
●内容: 論告


過去のの公判レポート(参考)2000年
第1回公判  5月15日 起訴状朗読と冒頭陳述
●第2回公判  7月 3日 被告の母親の尋問と中野大助被告の尋問
第3回公判  8月22日 検察側論告求刑
第4回公判 11月16日 最終判決 懲役12年の判決


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