自分は新木場から帰途中、車を運転しながらSさんのお母さんの気持ちや、自分の人生について考えていた。
Sさんのお母さんは一人で子供を33年間育ててきたあげ、公園で見も知らぬ少年達に殴り殺された。
まさか突然こんな悲劇が訪れるとはとは思わなかっただろう。
亡くなわれたSさんもまさか自分が死ぬとは思わなかっただろう。
おそらく家を出るときは、連休なのでハッテンしに行こうと気楽な考えで行ったに違いない。
家にはビデオや雑誌もそのままだった事だろう。
また、一人息子を失ったお母さんは、テレビで我が息子の死を知ったときの驚きは普通ではなかっただろう。
そして、挙げ句の果てに新聞やテレビでは「ゲイ」とか騒ぎ立てられる事は遺族にとってとても苦痛なことだろうと思う。
自分は別にゲイが恥ずかしいとかは思わないが、今の一般社会はゲイを異常と思う風潮がある。
そんなお母さんの気持ちを察すると涙が出るおもいである。
話は変わるが、先日俺の誕生日のときにお袋から電話があり『今でも遅くないから結婚したら?』と言われたことがあった。
おそらくお袋は、俺が一人暮らしで炊事洗濯をしているのを苦痛に思っているのだろうか。
俺は炊事・選択は全然苦痛とは考えてないし、一人は自由でいいと思っている。
お袋を悲しませないためにも、幸せなゲイ生活をしていかなければならないと考える。
もし俺が死んだとき、『あの子はゲイで幸せだったのよ。』と家族が思えるような生き方をしていかなければならないのだろう。
じゃ、ゲイにとって幸せとはどんなことだろうか。
彼氏がいることだけが幸せと限らない。
自分がゲイとして恥じない生き方。 そしてゲイ生活全てに関してエンジョイすることではないだろうか。
自分は過去に何人かの友達が病気と交通事故とかで亡くなり、何度か告別式に行ったことがある。
一番印象に残っているのは俺が21歳の時に一つ下のセックスフレンドが亡くなったときだ。
そいつは持病の喘息で何度も入退院を繰り返していたが、ついに21歳で亡くなってしまった。
入院中に俺の事を家族にも話していたらしく、亡くなったときにお母さんから連絡をもらった。
焼香に行ったときに、お母さんから『うちの息子はホモだったらしいけど幸せだったのですかね?』と聞かれた。
自分は突然の質問に困ってしまったことがあった。
帰り際にお母さんが『これ息子が着ていた服ですが、もしよかったら着て下さい。』と、ヨットパーカーを差し出した。自分はそのときのヨットパーカーを20年も大切にとってあり、時には彼のことを思いだす事がある。
自分が初めてバック(ウケ)を経験したのもそいつだったから忘れることもできない。(笑)
もう一度彼の家に焼香に行きたいが20年を過ぎた今では家を忘れてしまい行くこともできない。
ちょっと、話が脱線してしまった。
家族は一番気にする事は、『故人が幸せな人生を送ってきたか』ではないだろうか?
ゲイであっても本人が有意義な人生を送っていれば家族は安心すると思う。
自分はこれからも、悔のない人生。生きていて良かったと思える人生をしていきたいと思う。
自分はちょうど人生の折り返しの年齢になってしまったが、これからも、悔のない人生。生きていて良かったと思えるようにゲイ生活をエンジョイしていきたい。
エンジョイと言うと『男遊び』と思うかもしれないが、そんな事ではない。
ゲイは子孫は残せないが、生きてきた足跡が残すことが自分にとって一番有意義だったことだと思う。
自分の本業である建築設計は、自分が死んでも建物は壊されるまで残り続ける。
自分はそんな仕事が好きである。
『ハッテン場のシンジ』としてハッテン場を究めることもエンジョイのひとつかな・・・・?(笑)
自分が死んでも『昔、ハッテン場好きなバカな奴がいたなぁ〜〜』と思い出してもらえるだけで満足だ。
とにかく、何も結果が残らない無駄な人生だけは過ごしたくない。これからも頑張るぞ〜〜!
何を頑張るか。それは秘密でちゅう〜!
新木場の帰りにそんな事を考えながら帰ってきたのだ。
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