夢の島殺人事件二周忌 2002/2/10
 

 夢の島殺人事件から早くも2年が過ぎてしまった。
 命日にあたる今日新木場へ行って来ました。
 公園の入り口を入ると一角の梅の木が白い花を咲かしていた。
 この梅の木のあるところがSさんの遺体が発見された場所なのだ。
 
 一角に咲く梅の木が何かを語っているように思えてならない。とても印象的な光景だ。
 既に現場には多くの花束が供えられていた。

 私がお祈りをすているとき、お仲間らしき数人が横を通り過ぎていく。

2000年2月10日 シンジ



↑写真中央の白い花が咲いているところが殺害現場
現場の周囲だけに梅の花が咲いていた。
とても印象的な光景だった。

きれいな花束が供えられていた。


↑花束に俳句を書いた紙が結びつけてあった。

花束に結びつけてあった俳句

梅の香や
子をさきだてし
母ひとり

おそらく遺族のお母さんが歌ったのだろう。
息子を失ったお母さんの悲しみが率直に表れている。

亡くなったSさんは子一人母一人の母子家庭だった。
一人息子の命を奪われた悲しみは並大抵のものではないだろう。


依然と荒れていく新木場

 お祈りした後でハッテンスポットを一回りしてみようと思い歩き出すと無数の白いものが視線に入り込む。
 近づいてみるとテッシュだった!! なんじゃ〜こりゃ!
 現場から10mほど離れたベンチの周囲にはテッシュや使用済みのコンドームが捨てられている。
 (普段使っているピンク色のコンドームも昼間の公園で見ると目を覆いたくなるものだ。)

 Sさんが殺されたこの場所でよくハッテンができるものだと神経を疑ってしまう。
 あちこちに捨てられている白いテッシュは昼間の公園には相応しくない異様な光景だ。 

 その後、日焼けスポットの運河側に歩いていくと樹木が伐採されてただの空き地になっていた。
  


↑夏場は日焼けスポットとして有名な場所
 樹木は伐採されて立ち入り禁止になっている

ここは昨年までは人隠れる程度の雑木林だった。
夏場はここで全裸で日焼けするゲイが多かった。

京葉線の車内からは全裸で日焼けするゲイが見えて一般の人には良く思われてなかった・・・。
ついに樹木が伐採されてしまったのだ。

日焼けするのは別に悪いことではないが、公然の目に触れるところで全裸になることはやめてもらいたいものだ。

 

ハッテンの行為事態は男女のナンパと同じもので別に悪い行為ではないが、テッシュやコンドームを公園内に捨てたりトイレに落書きをすることは違法な行為であることを忘れないでほしい。
また、公然の場所で全裸で日焼けするもの当然違法な行為だ。
このような違法な行為が続くようでは我々ゲイは一般社会から孤立していく一方だ。

このような状況が続く以上ゲイバッシングはなくならないと思う。

俺が2年もの間なぜ夢の島殺人事件を追い続けてきたか?
その理由は人権問題を訴えるためではない。ただハッテンのマナーを見直してほしかったからなのだ。
マナーが悪ければゲイに対する偏見はなくならないと思う。
俺は今まで20年間の間いくつものハッテン場をみてきたが、どのハッテン場もマナーの問題で消えて行ってしまった。
どの公園も樹木を伐採したりトイレを改修したり多額の税金が使われてきた。
建築関連の仕事に携わる私にとって、施設を破壊するする行為は許せない。
そして一番心が痛むのは樹木を伐採されることだ。
横浜の反町公園も20年前は樹木が生い茂っていたが、ゲイが多いためほとんどの樹木が伐採されて、今ではコンクリートの無機質な空間になってしまった。

樹木が無い無機質なコンクリートだけの公園で人の心が癒されるだろうか。
歴史のない平凡な都市になってしまうのが残念である。
そのためにも、もっとマナーを守ってハッテンしてもらいたいものだ。

ゲイとして後悔のない人生!?

自分は新木場から帰途中、車を運転しながらSさんのお母さんの気持ちや、自分の人生について考えていた。

Sさんのお母さんは一人で子供を33年間育ててきたあげ、公園で見も知らぬ少年達に殴り殺された。
まさか突然こんな悲劇が訪れるとはとは思わなかっただろう。
亡くなわれたSさんもまさか自分が死ぬとは思わなかっただろう。
おそらく家を出るときは、連休なのでハッテンしに行こうと気楽な考えで行ったに違いない。
家にはビデオや雑誌もそのままだった事だろう。

また、一人息子を失ったお母さんは、テレビで我が息子の死を知ったときの驚きは普通ではなかっただろう。
そして、挙げ句の果てに新聞やテレビでは「ゲイ」とか騒ぎ立てられる事は遺族にとってとても苦痛なことだろうと思う。
自分は別にゲイが恥ずかしいとかは思わないが、今の一般社会はゲイを異常と思う風潮がある。
そんなお母さんの気持ちを察すると涙が出るおもいである。

話は変わるが、先日俺の誕生日のときにお袋から電話があり『今でも遅くないから結婚したら?』と言われたことがあった。
おそらくお袋は、俺が一人暮らしで炊事洗濯をしているのを苦痛に思っているのだろうか。
俺は炊事・選択は全然苦痛とは考えてないし、一人は自由でいいと思っている。

お袋を悲しませないためにも、幸せなゲイ生活をしていかなければならないと考える。
もし俺が死んだとき、『あの子はゲイで幸せだったのよ。』と家族が思えるような生き方をしていかなければならないのだろう。
じゃ、ゲイにとって幸せとはどんなことだろうか。
彼氏がいることだけが幸せと限らない。
自分がゲイとして恥じない生き方。 そしてゲイ生活全てに関してエンジョイすることではないだろうか。

自分は過去に何人かの友達が病気と交通事故とかで亡くなり、何度か告別式に行ったことがある。
一番印象に残っているのは俺が21歳の時に一つ下のセックスフレンドが亡くなったときだ。
そいつは持病の喘息で何度も入退院を繰り返していたが、ついに21歳で亡くなってしまった。
入院中に俺の事を家族にも話していたらしく、亡くなったときにお母さんから連絡をもらった。
焼香に行ったときに、お母さんから『うちの息子はホモだったらしいけど幸せだったのですかね?』と聞かれた。
自分は突然の質問に困ってしまったことがあった。
帰り際にお母さんが『これ息子が着ていた服ですが、もしよかったら着て下さい。』と、ヨットパーカーを差し出した。自分はそのときのヨットパーカーを20年も大切にとってあり、時には彼のことを思いだす事がある。
自分が初めてバック(ウケ)を経験したのもそいつだったから忘れることもできない。(笑)
もう一度彼の家に焼香に行きたいが20年を過ぎた今では家を忘れてしまい行くこともできない。
ちょっと、話が脱線してしまった。

家族は一番気にする事は、『故人が幸せな人生を送ってきたか』ではないだろうか?
ゲイであっても本人が有意義な人生を送っていれば家族は安心すると思う。

自分はこれからも、悔のない人生。生きていて良かったと思える人生をしていきたいと思う。
自分はちょうど人生の折り返しの年齢になってしまったが、これからも、悔のない人生。生きていて良かったと思えるようにゲイ生活をエンジョイしていきたい。
エンジョイと言うと『男遊び』と思うかもしれないが、そんな事ではない。

ゲイは子孫は残せないが、生きてきた足跡が残すことが自分にとって一番有意義だったことだと思う。
自分の本業である建築設計は、自分が死んでも建物は壊されるまで残り続ける。
自分はそんな仕事が好きである。
『ハッテン場のシンジ』としてハッテン場を究めることもエンジョイのひとつかな・・・・?(笑)
自分が死んでも『昔、ハッテン場好きなバカな奴がいたなぁ〜〜』と思い出してもらえるだけで満足だ。

とにかく、何も結果が残らない無駄な人生だけは過ごしたくない。これからも頑張るぞ〜〜!
何を頑張るか。それは秘密でちゅう〜!

新木場の帰りにそんな事を考えながら帰ってきたのだ。

Parks heaven シンジのハッテン情報